妖怪と妖精とひまわりと
〜あとがき〜



前置き

みなさんこんにちは。
るっかです。

この度は「妖怪と妖精とひまわりと」をご視聴いただき、 まことにありがとうございました。

またこのようなあとがきサイトにまでお越しいただき、重ねて御礼を申し上げます。

ここまでは前回と同じ流れで始めさせていただきました。


そして今回も長い話となるため、お時間のある方のみ読んでいただければと思います。


第一話のサムネより

この物語のテーマ

この物語は前回の「上海人形の物語」とは違い、
より心情を描いていきたいと思っていました。

「幽香は妖怪として非常に強く、残忍なため優秀である」

というのが私の持論です。

あくまでも私の考えであるのでそうでないという方も
いらっしゃるとは思います。

しかし、これもよくある話ではありますが、
そういう優秀な存在ほど、
孤独なのに気づいてないのではないか?
と考えてしまうことがあります。

今回はそれがテーマです。

孤独なのに孤独でないと勘違いしている妖怪と
孤独であることを知ってしまい、他人の孤独が見えてしまう妖精が
友達になるというものです。

まぁ第一話から「友情の物語」と記述しているので、
特に驚きの展開というものはなかったのではないでしょうか。
(もっとゆっくり考えていいから伏線張ってくれというコメントを
貰った時は、色々心にずきっときました。
次は参考にさせていただきます)


第二話のサムネより

参考作品

なんとも参考作品と言いますと、
とってもパクリ臭がすると思うのですが、
あくまで参考作品ですので
そこから何かを取ったということはないのでご了承ください。

今回の作品は様々な作品を参考にさせていただきました。


●「泣いた赤鬼」

これは物語としては全然違うのですが、
誰もがタイトルから切なさを感じてしまう作品。
この有名な童話はこの作品の原点とも取れると思います。

ただ、この作品に登場する赤鬼は別に凛としていて
強い存在として描かれてはいません。

実は幽香のモデルは、勝手に赤鬼の元を去った青鬼です。

自己満足や勘違いから相手を傷つけることになっても
自分が正しいと思うことをしてしまい、
自分の心すら傷つけて、一人でに泣く。

それが青鬼だと想っています。

幽香はそんな頑固な青鬼なのですが、
その青鬼を説得する変わり者が現れ、
自分の自己満足だったと気付き、
大泣きする、という物語です。

ひまわりが幽香に何を望んで、喋らなくなったのか。
本当に喋れなかったのか。

そこを考えていただけると嬉しいです。


●「ひまわりゆうかりん」

これは東方二次創作をされている糸工さんという方の作品でして、
この作品に影響されていないなんて言ったら確実に嘘になります。

ゆうかりんが小さなリグルと
様々なことをしたりされたりするほのぼの作品で、
毎週更新を一年近くされていたすごい作品です。
(師匠の知り合いの方なんですよね)

この作品ではゆうかりんが
周りの人間と一緒に悩んだり、笑ったりする
いわゆるドS(親切)な一面が多く描かれいます。

幽香の本質はこれなんじゃないかなと私は思います。

ただただ、人に対して厳しく接することができる人間はいません。
妖怪なんだからできるのではないかと思う方もいらっしゃいますが、
幻想郷はそんな妖怪も
人間のように暮らしていける世界なんだと想います。

妖怪が喜怒哀楽を堪能して、毎日を過ごしているのが幻想郷なのです。

そんな中一人妖怪の仕事を全うしようとしている少女が
寂しくないはずなんてない。
いつか壊れる日が来てしまう。

幽香の本当の願いは
みんなと仲良くすることなんだ。

そう思わせてくれた作品です。
(同作者さんの東方友人狩という作品が
まさにそれがテーマなのだと思いますが、
一話以降更新されていないので・・・)


●「ポロロッコの小さな恋のはなし」

こちらはニコニコ公式漫画で、yumさんが連載している話です。

恋の妖精が様々な少年少女の恋を叶えようと奮闘しようとする物語です。
(むしろ奮闘している部分はほとんど描かれていない?)

この作品は「妖怪と妖精とひまわりと」だけでなく
「上海人形の物語」でも影響を受けていました。

小さく、声も聞こえないような存在が
奮闘する物語というものは
見ているだけでどこか心を動かされるものです。

この作品の主人公のロッコもとても頑張り屋さんなので
ついつい応援してしまいます。

そんな姿は確実にステラやアミティに
影響していると思います。


この項目だけでよかったのじゃないかと思うくらい語ってしまいました。(笑)

ですが、このように様々な作品に影響を受けています。
これらの作品がなかったら私の作品など存在しえなかったのだと思います。


最五話より妖怪ゆうかりん
このシーンが描きたくて最初この話を作りました。


アミティについて

本作でのステラポジションがアミティです。(笑)

自虐的になってしまいましたが、
このアミティが登場するという時点でこの作品を作るか悩みました。
(最初はリグルだったのですが、物語の進行上妖精のがいいとなりまして)

ですが、そんな悩みは師匠の
「え?そんなのいちいち気にしてたら何も作れなくない?」
という一言で形にすることになりました。
(師匠は師匠でナンパな性格なキャラしか作れないことに悩んでいる気がするのですが)

アミティはもちろん英語やらフランス語やらで
「友情」のような意味を持つ単語から取りました。
(どっかの師匠は最後まで「ぷよぷよフィーバー!」とか言ってましたが)

それはもちろん本作のテーマが「友情」だからという意味が一番ですが、
それと同時に他の妖精には「ヘンバネ」と呼ばれている彼女が
何故名前があるのかということを考えてくれないかなぁ
と思ったからというのもあります。

妖精は親から子へと想いが伝わる訳ではありません。
自然現象として妖精は発生し、
本来名前というものを付ける文化があるのかすら怪しいです。

この作品では妖精が名前を名乗る文化が
あるとして考えていただきたいのですが、
その場合名前を付けるのは一体誰なのかということです。

他人に呼ばれてそれが定着するというものもあるでしょうが、
自分のことなのだから、
結果として名前を自分のものだと思うのは自分です。

ということは自分の名付け親は自分になるはずなのです。

アミティは周りから嫌われているのに、
自分に「友情」という名前を付けます。
それは何故なのか。

その答えは一つではないでしょうし、
私が思っていることが正解とも限らないと思いますので
深くはここでは語らないことにします。

ですが、妖精は先ほど言ったように自然現象なのだと考えると、
何か一つの結論に至るような気もします。


難しい話をしてしまいましたが、
要は私もよく分かってはいないのですが、
ただ、適当に名前を付けたという訳ではないということを
言いたかったのです。


また、もう一つアミティに対して疑問に思われそうなのは、
最後までほとんど喋らなかったということです。

これはアミティが喋っていなかったからではないのです。
アミティと喋ろうと幽香が思っていなかったからです。

幽香は妖精の言葉に耳を貸す気がなかったので
最初は要所要所しか聞いていなかった。

でも、自分が渡したひまわりを守り抜いたアミティに
敬意を表し、声を一語一句聞くようになったため
本文に彼女の声が表記されるようになったのです。

住んでいる世界が違い、
その差が大きければ大きいほど、
言語の相互理解というものは難しいと思います。

例えば昆虫や木々と我々が喋れないのがいい例だと思います。

彼らには言語中枢がないからだと思う方もいると思いますが、
本当にそうかなんて分かりません。

人間の言語体系をなす中枢がないだけなのかもしれません。

本当はちゃんと喋ってコミュニティを形成しているのかもしれません。

それが幽香がアミティと最初ちゃんと話せなかったのに
普通に話せるようになった理由。
幽香がひまわりと話せたのに話せなくなった理由。
なのかもしれません。


最終話のいたずら笑いのアミティ
妖精はこういう笑顔が可愛いと思います。


まとめ

ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。

長文すいませんでした。


「上海人形の物語」と比べますと、
先が気になるというような要素が少なく、
ただただ想いを込めただけのような作品になってしまいました。

このような作品が駄目と言うことはないと思っていますが、
それでも「上海人形の物語」との評価の差異から
やはり私に望まれているのがそのような作品なのではないかと
考えさせられました。

それでも、この作品は
私の友情観、世界観などを詰め込んだ作品なので
見ていただいた皆様には本当に感謝感激です。

皆様の応援があったので、最後まで行きつくことができました。
本当にありがとうございました。

次回もまた色々できたらいいなと思っていますので
宜しくお願いいたします。

本当に長文すいませんでした。

るっか


最終話より 幽香とアミティ